ルドルフとイッパイアッテナ を読んで

『ルドルフとイッパイアッテナ』を読んで

ピタゴラスイッチのような旅立ち

物語の冒頭、ルドルフはひょんなことからトラックに乗ってしまい、遠くの街へ運ばれていく。
その過程が、妙におかしく、そして強く印象に残る。

魚屋に怒られ、勢い余って飛ばされ、気がつくとトラックの荷台にいる。
この一連の流れは、まるで「ピタゴラスイッチ」のように、偶然が次の偶然を呼び、どこかコミカルだ。

朗読しながら、娘たちとの会話が自然に生まれる。

「トラックはどこに止まってたんだろう」
「どのくらいの距離から飛んだのかな」
「本当に荷台に入る?」

物語の筋からは少し外れているかもしれない。
けれど、そうした“寄り道”こそが、読書のいちばん楽しいところなのだと思う。

物語の外側を推理する楽しさ

本の趣旨とは少し違うが、ルドルフがいったいどこの都道府県から来たのかを推理するのも、とても面白かった。
物語を読み進めていくと、「ロープーウェイがある」など、場所を想像できそうなヒントとなる言葉がいくつか出てくる。

そうした言葉を手がかりに、「山が多いのかな」「観光地かもしれないね」と話しながら、頭の中で地図を広げていく。
私自身が、偶然その場所を訪れたことがあったため、「ここかもしれない」と何となく見当がつき、その推理を娘たちと共有する時間も楽しかった。

物語の筋を追うだけでなく、文章の中にちりばめられた言葉から背景を想像することで、本の世界は現実と静かにつながっていく。
正解かどうかは重要ではない。
親子で「考えること」そのものが、この本の新しい楽しみ方になっていたように思う。

想像力は、物語の余白で育つ

『ルドルフとイッパイアッテナ』は、すべてを説明しない。
猫の視点で物語が進むため、人間にしかわからないことは、あえて語られず、ちょっとした謎として残される。

だからこそ、読者は考える。
補い、想像し、頭の中で物語を組み立て直す。

場面を映像のように再生しながら、「ああでもない」「こうでもない」と語り合う時間は、正解のない遊びに近い。
物語は、ただ読むものではなく、誰かと一緒に育てていくものなのだと感じさせられる。

おわりに

毎晩、布団の中でページをめくりながら、物語について語り合う。
それは読書であると同時に、会話であり、想像であり、親子の時間そのものでもある。

『ルドルフとイッパイアッテナ』は、冒険の物語でありながら、
考える楽しさと、寄り道する自由をそっと教えてくれる一冊だった。

今夜もまた、本を閉じたあとに残る静かな余韻を感じながら、
この時間がいつか思い出になることを、少しだけ意識している。

タイトルとURLをコピーしました